普通のことを普通に書く日記

日記とその他を書いています。

9/13

ここではないどこかでタイマーがなっているような音がしていて、眠りになかなかつかない。一度気になり始めるとなかなか難しい...いや、うちの冷蔵庫の扉が開きっぱなしの音かい

眠れなくて気になっていたおかえりアリスを読み始めたら、あっという間におかえりアリスの既刊を全て読み終えてしまった。本当に面白かった。漫画を読みながら、小説のことを思い出した。こんなふうに書くことができる作者のことが羨ましくなったと同時に、僕もまだまだ魂を曝け出せていなかったことを痛感した。そんな自分が恥ずかしくなった。最も醜い場所を直視することなしに、最も美しい場所に至ることはできないのだろう。忘れていた(もしくは忘れたことにしていた)自分を思い出した。僕は僕が生きていることを誰かにきちんと許されたかった、ただそれだけのはずだった。僕という器はそうではなかった。自分という器が嫌いだった。身体も性欲も男性性も僕は嫌いだった(そして、たぶんそれは今も)。僕がそれらをいずれも捨てることができないと悟った、もしくは諦めたのはいつだったのだろう。恥ずかしいけれども、作者のあとがきの大部分に共感してしまった。年齢を重ねて、誤魔化し方がうまくなっただけで本当は何も変わっていないのかもしれない。それもよく分からないほどには誤魔化し方がうまくなったのかもしれない。純粋に誰かを愛したい。そんなことは無理だ。けれども、純粋に誰かを愛したい。自分のグロテスクさを受け入れたいけれども、決して受け入れたくない。読みながら、僕の中の何かが焼き切れる音が頭の中でした。読み終えてから散歩しているあいだ、不意に僕は本当は前の大学でのことを思い出した。大学3年の頃だ。その当時、僕は本当は人文系の研究者になりたくなってしまった。けれども、ゼロから人文系の勉強をすること、人文系の研究者になることができる確率が低いこと、人文系の研究者になっても得ることができる収入が少ないこと。そういったいろんなことを考えた時、どうしても僕は人文系の研究者になることをそれでも目指すの勇気を持てなかった。僕にはとにかく人文系の本を読むための時間が必要だった。そんな風にしてすこしでも学生の期間を延長するためにも医学部を受けることを最終的には決めたことを思い出した。自分にとっては僕の中の男性性が現れた象徴的なエピソードだから、思い出したのかもしれない。でも、僕が男性性から逃れようとしても、誰も助けてくれないじゃないか。あの時の選択は今でも間違っていなかったと思うし、仕方なかったと思う。でも、そういった無数の仕方なさを積み重ねることで、僕は僕の最も美しい場所を損ね続けているのかもしれない、それは今も。6巻でエヴァンゲリオンを思い出した。

あまりに瑞々しい時間が流れていた。

どういうことを信じて、どういうことを信じなければいいのだろう。そういうゲームに疲れてしまったのかもしれない。やはり当初通りここまで真剣にやるべきではなかったというだけなのかもしれない。

真剣にしすぎた反動が電車の中で一気に来たのかもしれない。もうすこし気楽にいこう。何も真剣にしすぎる必要なんて本来どこにもないんだし。

すこし疲れたかも。移動にも疲れたし。

正解を当て続けて、当て続けて、当て続けて。

信じられていない。

みんな嘘つきの世界で生きるのに疲れた。

酒が抜けてきて、別に全部がどうでもよくなってきた。クールにいこう、クールに。保留されることにも蔑ろにされることにも慣れている。そもそも恋愛の本質的なことの一つに、蔑ろにする/されるという関係は含まれているだけだ。

1日で一人で7.5時間ほど電車に揺られて、純粋な距離と純粋な時間と純粋な疲労を感じる。

酒も抜けてきて、どうしておかえりアリスに自分が絆されてしまったのだろうかを考える。まず、前提で他者に対して期待し過ぎていたというのがある。これは仕方ない。でも、それだけではこうはならない。おかえりアリスを読んで、純粋さに憧れてしまったからだろうか。いや、それだけではないだろう。一つ思い当たることがある。僕の中の純粋さに、僕が耐えられる期間が自分が思っていた程にはもう残されていなかったからかもしれない。そして、おかえりアリスが純粋さを加速させ、そのトリガーになったのだろう。純粋であり続けるのはかなり疲れる。それなりにいろいろ気を遣っていたし、(当たり前のことだが)純粋さのストレスを基本的に僕が引き受けていたと思う。僕はたしかに純粋でいたかった、それは今も。僕がもっと若い頃、もっとめちゃくちゃになることで長い期間純粋さを保っていた。けれども、今の僕にはもう毎日めちゃくちゃになることができるほどの若さが残されていない。僕はまだ若くても、以前ほどはもう若くないのだ。きっともっと手を抜いたほうがいい。理屈ではわかっている。蔑ろにされる側ではなく、蔑ろにする側に回ったほうがいい。それもよくわかっている。このままだときっと蔑ろにせざるを得なくなるのだろうか。そうかもしれない。若い頃の僕が羨ましい、本当に。今の僕は他者に隠しながら他者を蔑ろにするべきだろうなのか。何をどうすれば良かったのだろう。疲れた。でも、やっぱり今日、僕は多かれ少なかれ蔑ろにされていた。僕はどうすればいい。蔑ろにしたくないのも本当だし、蔑ろにしたいのも本当だ。ただ、僕は疲れていて、全部馬鹿みたい。今日何も結論を出す必要はない。明日以降の自分が何かしらの結論を出すだろう。それがどんな形であれ。

時々、僕は何が大切で何が大切か感情としてよく分からなくなる。大切にすべき優先順位は理屈では分かる。けれども、あまりに感情をそれに理屈通りに合わせるのが今日は辛い。今の感情ではすべての大切なことに優先順位がなく、綺麗なフラットだ、波一つ立たない湖のような完全なフラット。明日の僕は大切なことたちをどういう優先順位に配置するのだろう。

結局、人生は答えを延期し続けるしかないのだろうか。きっとそうかもしれない。でも、僕は嫌だ。だから、僕にはよく分からない。延期して延期して待って待って、奇蹟が降り落ちるのを望むしかないのだろうか。僕は僕の手で奇蹟を起こさないのだろうか。でも、僕が僕の手で起こした奇蹟はもはや奇蹟と感じられないのだろう。でも、本当に僕はもう疲れてしまったんだ。こういうことに。それでも、明日になれば僕は前を向けるのだろうか。それとも後ろを向くのだろうか。それとも全てを無茶苦茶に壊すのだろうか。それはそれでもう悪くないかもしれない。正直僕にできることは結構もうやりきっていたし、その時々でベストは尽くしていたし、後悔なんていつだってどうやったってきっと後から振り返れば起こるだろう?クソが。

ああ、そういえば、どこまでも惨めな時間が流れていた、内心は望んでいないセックスであっても射精してしまうことがあるように。真剣な問いに真剣に応えられなかったことに深く傷ついたのかもしれない。

文体に若干離人が入り始めていることがわかる。きっと良くない兆候だということはわかった。辛かったね。

全部何もかも消しても、どうせ同じ期間でそれさえもなかったことになるのがよくわかっているのは気が楽と言えば楽だ。また、ただの振り出しに戻って、また、賽を投げるだけだ。僕は何を躊躇っているのだろう。1日10回くらい唱えて自分にそれをきちんと染み込ませようか。

星野源の解答者を聞く。僕は解答者だと思う。解答者が不正解を出した時、どうすればいい?