普通のことを普通に書く日記

日記とその他を書いています。

8/11

眠ることができなくて、米津玄師のdioramaを聴く。米津玄師のアルバムだとYANKEE,BOOTLEG,STRAY SHEEPはよく聴くが、diorama,Bremenはあまり聴かない。でも、dioramaを改めて他に何もせず聴くと、ゆったりした時間が流れてとても素敵だ。音楽について語る話法を持ち合わせていないのが悔やまれる。音楽を言語に持ち込むことが苦手で、好きか嫌いかでしか話しづらい。

 

まろやかな頭痛を抱えて、ベランダの椅子に座る。足は直射日光を受けて、温かいと暑いの中間くらいになる。たぶん、上半身も直射日光を受けていたら暑い、となっていた。波が波打ち際まで来た後波としての形状が崩れる音が等間隔にやってくる。波としての形状が崩れる時に空気が混ざって白くなるのだろうか。遠くに見える白波も同じように波が崩れている過程なのだろうか。海面に引かれる黒い線も波によって生まれる陰影なのだろうか。潮のあの匂いが時折風に運ばれてやってくる。昨日は曇りで気づかなかったが、遠くに島の影がうっすらと見える。冷えたグラスに入っている冷えたビールを飲む。外に数分グラスを置いていると、グラスも冷たさを徐々に失っていく。水鳥が海面すれすれを飛んでいる。グラスの冷たさが水へと変わり、その水はサイドテーブルで円となる。ビールを飲み終える。

 

英虞湾を眺める。リアス式海岸でくねくね。

展望台に着いた時の一言「展望してるわ〜」

大きな窓に映る景色を見て、絵画の絵画性はフレームがかなり寄与しているような気がした。

人生で2,3回目のフカヒレの姿煮を食べたが、余ったスープがもったいなく感じてしまう......

父が茗荷という漢字を初めて知ったと言い僕は知っていたため、茗荷という漢字をどこで知ったかという話題になったが全く思い出せない。たしかにスーパーでもレシピサイトでもあまり茗荷を漢字で見かけない。

dioramaを聴いていたけれども、歌詞も頭に入っていないのにBlack Sheepと乾涸びたバスひとつで涙がすこしだけ浮かんで消えた。アルバムを通じてなぜかボトルシップの作成を思い出した。ボトルシップを作成したことがないけれども。ボトルシップを作るように、ボトルの外から中身を丁寧に丁寧に配置しているような感じ、だろうか。

次の小説は米津玄師のdioramaを徹底的に聴いて作るつもり。とても良かったので。なぜ以前は琴線に触れなかったのだろう...
作品がなぜ好きかということ以上に作品がなぜ好きではなかったのかということが気になる。