普通のことを普通に書く日記

日記とその他を書いています。

9/9

日付がゾロ目だ...

昨日の酔いが残っていて、夕方までは何もせずただへばっていた。

異国日記が近所の本屋にもあったので、続きを購入する。

今日はさすがにお酒を控える、はず。

サラダを作るためのキッチン用具と氷を作るキッチン用具を後日買う。

知性に関すること以外の自己評価がおそらく低すぎる。

サラダに焼いたしめじを載せて、にんじんドレッシングをかける。にんじんを使ったものだとにんじんドレッシングが一番美味しく感じる。

KIRINJIの新しいアルバムを聴く。

いろんなことが嫌になる。そういうもの。

人生で何人かの他者を結果的に蔑ろにしてしまったことがずっと心に残っている。

今、ただ待っているのはそれに対する自分なりの罪滅ぼしも含まれているのかもしれない。何の罪滅ぼしにもなっていないことは自分でもよくわかっているが、心の回路のどこかで贖罪と待つことがシームレスに繋がっている気がする。それが最も苦痛だからだろうか。それとも待つことが当時の自分に欠けていたものの中では最も大切なものだからだろうか。

本当は何もかもを誰かに話したい。もうそういった相手はいないだろう。いるべきでもないように思う。

生きるための技術だけで日々を動かしている。生きるための技術は有用だが、心の最も柔らかい部分を間違いなく削っていく、すこしずつ確実にガリガリと。「日々生きることに耐える」という発想さえ生まれない人間に生まれたかった。

誰かを好きになることそのものより、誰かを適切に好きになることに含まれる適切さの方が難しく、それを持続させることはもっと難しい。

僕は僕のイメージと踊る。僕のイメージはそれなりに魅力的なはずだ、すくなくともイメージは。君も君のイメージと踊る。君のイメージは魅力的だ。円城塔の小説を思い出す。そして、僕のイメージと君のイメージが一緒に手を取ってゆらりゆらりと踊りだす。けれども、僕と君は踊らずに、踊り場からすこし離れた場所でイメージとイメージの戯れを見る。

悲しいだけをあらためて読み返した。日本語で書かれた最も美しい短編小説。

ポップスの歌手ってロックの歌手より歌手としての寿命が長いように感じる。

星野源のLIGHT HOUSE,Same Thingを聴く。

街灯がほぼない田の隣の道を歩く。

小袋成彬のStridesを聴く。